技能スキルの高さが身上 大阪市の丸中産業

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カテゴリー: ディーラー, レポート

 丸中産業の創業は1946年6月。創業者の中田秋雄氏の個人商店、丸中商店として設立。1955年に株式会社丸中商店に改組し、1957年に現在の商号に変更した。

 創業当初も大阪市東成区だったが、1972年に本社を同じ区内で移転。その後、2010年3月に、現在地の大阪市東成区東小橋に移転した。

 この地は府道26号線に面している。JRの大阪環状線と大阪市営地下鉄の長堀鶴見緑地線の玉造駅から徒歩圏内の住宅街だ。またここは古くからの交通の要衝であることから、クルマの通行量が多い。つまり、典型的な都市型店舗と言える。

 もともと卸商売を中心としていた同社。ただ、時を経るに従って、小売りへとシフトしていった。現在、本社では消費財タイヤが取り扱いの中心。老舗であることから、店の存在は広く知られるところだ。

技能スキルの高さが身上

 地域の人たちのマイカーをはじめ、会社法人などが主な顧客層。軽自動車やSUV、大型輸入車から、バン・営業車のLT関係まで対応する。中田社長によると、「お客様が次のお客様を紹介してくれる」という。本社ビルの真正面に社名よりも大きく『タイヤの店』と描いたのも、「あの店に行ってごらん」と紹介を受けた新規ユーザーが初めて来店する際に、店がひと目でわかるようにと意図したものだ。

丸中産業の外観
丸中産業の外観

 ただ黙って『待ち』の商売をしているわけではない。例えばタイヤチェンジャーにはランフラットタイヤや大口径の超偏平タイヤのレバーレス作業に対応するハイエンド機をいち早く導入した。

 土地柄、このエリアにはランフラットタイヤを純正装着する高級輸入車が多い。「タイヤ専門店であるなら、タイヤに関するご要望にはお応えしなければならないでしょう。ランフラットタイヤの交換はできませんなんて言ってはなりません」(中田社長)と判断したからだ。その結果、それが同社の“ウリ”の一つになる。

 「カーディーラーやガソリンスタンドでタイヤ交換ができないと言われ、そこで当店を紹介されて来たというランフラットタイヤのお客様が多くいらっしゃるのですよ」、そう中田社長は言う。

 このような本社店舗に対し、それとはまた違った存在感を放つのが、同社の南港営業所である。

 南港営業所は1987年に開設した。所在地は大阪市住之江区南港南。ここは生産財タイヤが中心の店。地場の物流・運送会社が主な顧客層だ。長距離を走るトレーラー・トラックなどが多い。

 ここの“ウリ”は何と言っても「作業の早さ、確かさ」だと、中田社長は紹介してくれる。

 南港営業所に顧客が訪れる。スタッフがピットに車両を入庫させると、それを合図にスタッフが一斉に作業を開始する。誰がどの作業を担当するかなど、すべてが阿吽(あうん)の呼吸で行われるかのように、スムーズで無駄なく進むという。

 そのために、ドライバーがタイヤ交換の時間を利用し休憩時間を長めにとろうとしたり、食事に出ようかと迷っている間にも作業が終わってしまうことが多々あるようだ。

丸中産業
ハイエンドモデル機器を揃えた作業ピット

 迅速な作業に本来なら感謝されて良いところだとも思えるが、反対に「なぜ、こんなに早く終わってしまうのだ」と、困惑されることもあるらしい。

 「並みのタイヤ交換作業なら、10分とかからない」と中田社長。職人技とも言える、スタッフたちが持つ作業技術のスキルの高さに胸を張る。

 また、扱いブランドの一つであるミシュランの生産財タイヤでは、リグルーブについても対応している。近年、特に顧客である運送会社はタイヤのコストに厳しい目を向けているという。1本のタイヤの保ちをいかに良くするか、いかに長く使うか  このような視点から、リグルーブのニーズが増えつつある。南港営業所では、それに的確に応えている。

 丸中産業は現在、中田社長をはじめ役員2名、本社5名、南港営業所7名の陣容。中田社長に今後の展望を訊いたところ、「長年、タイヤの商売に携わってきたので、これからもタイヤに関わっていきたい。これまでの人と人とのつながりを大切にし、『丸中と付き合っていたら間違いない』と言われるようになっていたいですね」との答えが返ってきた。

 老舗だからこその安心感。長く続けてきていることで得られる信頼感――これは同社の財産と言うべきもの。それを次世代へとスムーズに引き継ぐことが、中田社長の大きなテーマとなっている。


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