ブリヂストン創業の地 久留米市を訪ねて③「久留米とのかかわり」

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カテゴリー: レポート, 現地

 「世の人々の楽しみと幸福の為に」――ブリヂストンの創業者・石橋正二郎氏は、その人生観に基づいて多くの文化施設や教育施設を創業の地である久留米に建設した。今回はその内の一つ「石橋文化センター」を訪れ、社会貢献活動の原点ともいえる、地域社会との関わりについてまとめた。

石橋文化センター

 石橋正二郎氏は1956年(昭和31年)、会社設立25周年を記念して「石橋文化センター」(久留米市野中町)を建設し、久留米市に寄付した。

 昨年開園55周年を迎えたこの施設は、長きにわたり市民の憩いの場として親しまれており、現在も年間50万人以上が来場する。約6万平方メートルという広大な敷地内には美術館や音楽ホール、図書館などの文化施設が点在している。また各施設を取り巻くように設置されている花壇にはバラやアジサイなどが植えられており、四季ごとに園内を散策する人の目を楽しませる。

 現在は手入れの行き届いた公園になっているが、この場所は元々、工場の跡地で耕作などにも適さない荒れた土地であった。終戦間もない頃の久留米市は、戦後の焼け野原から復興する過程であったが、多くの住民は応急的に建設されたバラックでの生活を余儀なくされるなど、厳しい社会状況下におかれていた。

正面入口の石壁
正面入口の石壁

 こうした混沌とした社会が青少年へ及ぼす影響に憂いを抱いた正二郎氏は、荒廃した土地を開拓して「久留米に住む人々を明るくしたい」という気持ちを強く持つ。そして「文化センター」の構想に行き着いた。

 施設の開園時には次のように挨拶(一部抜粋)をしている。「人間は生まれて一生をただ生きるだけで終わるのではなく、楽しく幸福に一生を過ごし生きがいのあることが何より大切です。これは衣食住全ての生活環境の向上が必要で、文化の発展によってもたらせられるものであります」

 正面入口の石壁には、正二郎氏の筆跡で“世の人々の楽しみと幸福の為に”という言葉が刻み込まれている。そこに込められた想いは自著『理想と独創』で次のような言葉で語られている。

 「事業家は、事業を繁栄させることがとりもなおさず社会・国家につくすことであるが、しかし、なお事業活動とともに公共的事業につくすことを忘れてはならぬと思う」

 これは「石橋文化センター」に限った話ではない。例えば、現在は「ブリヂストン通り」と命名されている久留米工場前の道路は戦後10年を経過しても着工の見通しがつかず、市民は不便を強いられてた。その土地を造成し、市に寄贈したことで病院や大学へのアクセスが各段に容易になった。また1950年代に地域の河川(筑後川)で風土病が発生したため遊泳が禁じられたことがあった。その際には市内21の小中学校へプールを寄贈。さらに保健衛生の発展のために私財を投じて九州医療専門学校(現・久留米大学)の設立を支援するなど、地域の教育や福祉の発展に尽力した。

 今でこそCSR活動が盛んに行われ、いかに社会的責任を果たすかが経営の重要なテーマとなっているが、半世紀以上前からこのような活動を推し進めたことが後世に与えた影響は計り知れない。

 同社グループでは、現在、世界各地で様々な社会活動を行っている。そこには、「事業活動を通じて社会に貢献することはもとより、より豊かな地域づくりに貢献する」という創業者の精神が受け継がれているに違いない。

石橋美術館

石橋美術館
石橋美術館

 石橋文化センター内の中心施設である「石橋美術館」は、1956年に開館した本館と1996年に開館した別館がある。財団法人石橋財団が運営を行っている。

 東京・京橋本社内にあるブリヂストン美術館が西洋の印象派を中心に展示しているのに対し、ここ「石橋美術館」は久留米出身の青木繁、坂本繁二郎、古賀春江ら日本の近代洋画家を中心に紹介している。

 コレクションを単に作家別、時代別に展示するのではなく、作品に関連するエピソードを章立てにしているのが興味深い。また国宝や重要文化財を含む書画陶磁器などを季節ごとに展示している。

関連:ブリヂストン創業の地 久留米市を訪ねて①久留米工場 | ブリヂストン創業の地 久留米市を訪ねて②「創業者ゆかりの施設」


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