小野谷機工(福井県越前市)は10月上旬、ロードサービスカー(タイヤサービスカー)の新工場の竣工式を開催した。その席で同社グループの三村義雄社主に、サービスカー事業にかける想いと、新たなビジネスを創造することの重要性を語ってもらった。
今回のロードサービスカー工場は私どもにとっては企業生命をかけた事業で、失敗はできない。
今から25年前に単身で北米に行き、現地のタイヤ業界はどうなっているのかを視察したが、アメリカにはタイヤ屋さんがあまりないのです。それではどこでタイヤを売っているか――ほとんどがカーディーラーでした。
当時から道路は舗装されており、クルマはパンクしない。たまにパンクをしてもカーディーラーで修理していました。じゃあトラックはどうするか?トラックはターミナルにタイヤ屋さんが来てそこで取り替えていました。それを見て、将来は日本ではパンク屋がなくなるのではないかと思いました。
帰国して名古屋で講演会を開いたら500名くらいが集まってくれました。そこでアメリカで感じたことを話しました。将来、タイヤ屋がなくなるのではないかと。皆さん「そんな馬鹿な。日本にはタイヤ屋さんが何万軒もあり、それがなくなるはずがないと」言っていました。
しかしその予言が当たった。一昨年くらいからタイヤ屋さんが減少しています。昔は道路の舗装が完全ではなかったから、パンク修理も多かったが、今はそれがほとんどありません。新車を買うと、昔は必ず付いていたスペアタイヤも今はないのが当たり前になっています。
私はそのときにロードサービスカーを作ろうと考えました。当時、自動車メーカーの参加を募ったが、ほとんどのメーカーは「そんなものは売れない」と。でもただ1社だけ参加してくれました。
そして今、まさにロードサービスカーの時代が来たと感じています。サービスカーで移動してタイヤを整備する時代、サービスカーでタイヤを売る時代になっています。タイヤメーカーも真剣に考えないと、ああいう業種にお客さんを取られてしまうかもしれません。
当社は考える人の集団にならないといけないと考えている。彫刻家・ロダンのレプリカ像を制作してもらいましたが、あれをシンボルにします。
考える集団でないと生きていけない。当社の機械は全部ひと味違うから売れているのです。例えばトラックのサービスを行うには体力が必要です。だから自動の機械を開発しました。アルミホイールを保護するリングも当社で販売していますが、今はあのリングは必需品になっています。
閃(ひらめ)きが無い人は駄目だと思っています。閃くコツはとにかく考えることです。考え続けているとパッと気付く瞬間がある。これが発明です。
頭が良い悪いとは違います。頭を使って、閃いて新しい製品を作らなければなりません。