自動車タイヤ新聞で過去に「轍」と冠したコラムを連載した。轍(わだち)とは路面にできるクルマが通った跡のこと。コラムでは本紙の初期のエピソードをはじめ、タイヤ業界の折々の話題を交えた読み物とした。
その「轍」で数回の連載形式により、株式会社自動車春秋社の創業から当時に至る歴史をひもといた。通算500号・1000号・2000号という、大きな節目に発行した紙面に触れながら。本紙の刊行が通算2500号に達したためだ。
この回は次のひと文で締めくくった。「本紙が通算第2500号という里程標を過ぎて迎えたこの春(注・2016年を指す)。04年から12年もの歳月を積み重ねてきたが、市場は今も天気次第で一喜一憂する構造のまま。通算第3000号を迎えたときはどう変わっているのだろうか」
当時めざした通算3000号にはあと100号、およばなかった。週刊なので1年で約50号発行する単純計算で2年。
大阪の老舗タイヤ販売店を取材したときに、店主から聞いたことばが強く印象に残っている。「地域密着店というけど、たとえば隕石が落ちて、その店だけがぽっかりと消滅したとしますやん。近所のひとがその跡地をみて『ここになんの店、あったかな』と言われるようじゃ本当の地域密着店ではない。店名まで覚えられていなくても『ここのタイヤ屋さん、なくなって困るわー』と言われる存在でないと」
業界専門紙も同様、そういう存在でなくてはならない。そのことばを噛みしめながら取り組んできたつもりだ。
40余年のキャリアを積んできたので、振り返ればさまざまなできごとを思い出す。創業者が鬼籍に入り、2代目が隠遁(ことば遣いが少々悪いが、一番しっくりとくる表現で他意はない)しても、それで会社が陰るとか、媒体の価値が下がるとはまったく考えなかった。100年に1度のリーマンショックと1000年に1度の東日本大震災を経験し、会社の運営面で大打撃を受けたが、出版社としての使命を果たすことに努めた。
ついでに個人のことを打ち明ければ、自転車通勤の途中で事故に遭ってあばらの骨を折り救急病院に駆け込んだ経験がある。新型コロナ感染拡大期にオミクロン型にかかり、3日間40度前後の発熱が続いた。それでも新聞を休まず発行した。
これまでをたどるとそんな凸凹があるが、道を踏み外すことはなく、途切らせることもなかった。だが自動車春秋社の轍はここまで。自動車タイヤ新聞は本号で廃刊する。会社の登記簿登録から63年。これまでご愛読いただいた読者の皆さま、スポンサー各位に心から厚く御礼を申し上げます。自動車春秋社の社員をはじめ、すべてのステークホルダーの皆さまにおかれては一層のご健勝を祈念致します。
筆者が代表取締役に復帰した最初の特集号(2023年夏季特集号)で記したひと文を再掲し結ぶ。
道は続く。走り抜けよう。
(株式会社自動車春秋社 代表取締役 横野正義)
【株式会社自動車春秋社からのお知らせ】
「自動車タイヤ諸元表」のご愛読者様へ

弊社発行の専門書籍、「自動車タイヤ諸元表」をご愛読いただきましてありがとうございます。
「自動車タイヤ新聞」9月3日付・第2889号の2面「社告」でご案内申し上げましたように、弊社は9月末で事業を閉鎖致しますが、「自動車タイヤ諸元表」につきましては版権の譲渡を進めています。譲渡契約が締結された場合、譲渡先の出版社より新年度版として刊行される見込みです。
毎年、「自動車タイヤ諸元表」をご愛読いただいております皆様にはご迷惑をおかけし誠に申し訳ありません。
新年度版「自動車タイヤ諸元表」が刊行されることが判明しました暁には、譲渡先の出版社から新刊書籍出版のご案内DMをお送りする運びとなります。その節は引き続きましてご愛読を賜りたくよろしくお願い致します。
9月24日現在で流動的な部分を残しており、確定に至っておりません。はなはだ恐れ入りますが、諸事情をご賢察賜りたく重ねてお願い申し上げます。
株式会社自動車春秋社