加登ゴム「揃わないものはない」が誇り

シェア:
カテゴリー: ディーラー, レポート

 東京都練馬区にある株式会社加登ゴム。現在グッドイヤーの代理店である同社は、1920年に社長の祖父が創業した。東京オリンピックの年に100周年を迎える、非常に歴史の長い会社だ。社長の父の代では更生タイヤの組合活動に注力し、その功績によって藍綬褒章を受賞。また、代理店として力を入れ始めた先代社長のデザインで、社内は青と黄色のカラーリングで統一され、スタイリッシュなオフィスとなっている。そんな同社の姿勢と考えを、3月に代替わりしたばかりの加登伸夫社長にうかがった。

「ここにならある」に応えるラインアップ

加登ゴム
4代目になる加登伸夫社長

 同社は加登社長で4代目となる。従業員数14名の同社は、本社社屋のほか、埼玉県新座市に大型のタイヤを保管するロジスティックスセンターを持つ。一般への販売を原則行っていないのは、代理店としての契約規則に基づくものだ。

 「東京には3社の代理店があるので、バランスを取りながらお互いに客層を取り合わないよう、いろいろと住み分けを考える必要がある」――そのため、同社は主に生産財を中心に、非常に幅広く多様なラインアップを用意している。販売だけでなく、保管と管理も手がけており、例えばJALやANAが使用している航空機用タイヤは、同社が中継して納入している。

 また大小さまざまな農機用のタイヤだけでなく、ゴルフ場のカート用タイヤなど特殊な生産財も多く、同社では顧客の要望に応え、世界中からタイヤを取り寄せている。それだけでなく、メーカー各社が生産を終了したサイズのゴルフカート用タイヤを、一部オリジナルブランドとして開発、販売を手がけている。

加登ゴム
ゴルフカート用タイヤなどの生産財を主に扱う。タイヤの一部は同社オリジナル

  “どこにもない、がここにはある”をモットーに、揃わないタイヤはないことを自負している。

 同社がタイヤの開発までも可能にする背景には、技術畑出身の社長の経歴があった。先代社長の妻であり、同社の経理を担う郁子さんに「タイヤで産湯に漬かったような、タイヤの中で生まれ育ち、タイヤの中で生きる人」と評される社長は、もともとは横浜ゴムに技術者として勤務していた。

 その後、尾道工場での勤務を最後に昭和52年に同社に戻り、自社の工場長を務め、工場閉鎖後は営業として勤務してきた。その技術力と経験が“なければ作る”という同社の方針を可能にしている。

 同時にそれは、社長自身の考えにも影響している。――「今でこそこうして話せるが、営業になった当初は一体なにを話せばいいかわからず、黙りこんでしまうこともあった」と話す生粋の技術者だった社長は、自らの経験から“習うよりも慣れよ”を社員教育にも取り入れている。

加登ゴム
オフィスは先代社長のデザインによるスタイリッシュな雰囲気

 「人間だから失敗もする。しかしそこからしか学べないものもある。まずはやってみろと見守っている」

 自ら考え、経験して獲得したものは、習熟が早く忘れ難い。そのため、多少の失敗には目をつむり、成長するのをじっと待つスタイルだ。

 最後に社長としての今後の抱負を、「先代が開いてくれた道を大切にしながら、他社では扱わない生産財、特殊なタイヤを中心に伸ばしていく」と語った加登社長。

 「困ったときの加登ゴムと言っていただきたい。グッドイヤーの代理店ではあるが、同社が作っていないものでも、必要とされれば取り寄せてご用意する」

 4年後の創業100周年、そしてその先を目指し、今後も顧客の“加登ゴムにならある”に応えて、さらに取り扱うタイヤを増やしていく考えだ。


[PR]

[PR]

【関連記事】