東大阪タイヤサービス本店 CS・ES向上が経営の重要テーマ

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カテゴリー: ディーラー, レポート

組織力でユーザー対応を

 東大阪タイヤサービス本店の所在地は東大阪市西堤1丁目5-13。大阪と奈良を最短で結ぶ阪神高速13号・東大阪線~第二阪奈有料道路と並行する国道308号線沿いにある。

 阪神高速13号と近畿自動車道が交差する東大阪ジャンクションに近い。大阪府内はもちろん、生駒市や奈良市など奈良県内へのアクセスに優れる。またJRや大阪メトロの駅からも徒歩圏内だ。

東大阪タイヤサービス本店
東大阪タイヤサービス本店

 東大阪市と言えば、花園ラグビー場が著名。ここは日本初のラグビー専用グラウンドで、今年9月から開催されるラグビーワールドカップ2019の12の会場の一つ。世界的な注目が集まる都市だ。

 さらに東大阪市はものづくりの街でもある。町工場が有する高い技術力によって造られた製品が世界中で活躍していることはドラマなどで広く知られるところ。その町工場の多さは東の東京都大田区と並び、東大阪市は西の代表格。同市内の工場事業所数は全国主要都市でトップクラスを誇っている。

 石賀社長によると、同社は1973年10月、先代が個人商店として創業。1992年に法人化し、会社組織とした。創業当初は大手運送会社を主要な顧客とし、そのトラック用タイヤのパンク修理などを手掛けていたそうだ。

 その後、業容を拡大し、地場の運送会社などで使用される生産財タイヤをメインに事業を展開。現在、低床4軸の大型トラックユーザーがその多くを占めている。社員数は22人で、このうち7人が本店で業務にあたっている。

 2代目となる石賀社長は自動車整備学校の在学中に自動車整備士の資格を取得。卒業後、カーディーラーでトラック整備の仕事をしていた。3年ほど経った頃、先代が病で倒れたことを契機に社を引き継ぐことを決意。タイヤ販売会社で修行し、25歳で入社した。

石賀良一社長
石賀良一社長

 「入ってまず驚いたのは個人商店そのままだったこと」だと、石賀社長は当時を述懐する。仕事の流れが合理性に欠けるところがあるなど、組織としての体(てい)を成していないように見えたそうだ。それではいけないと、各人が思い思いに着用していたTシャツスタイルの仕事着を改め、制服を導入した。また朝礼や会議なども定期的に行うようにした。

 「タイヤの仕事自体、昔であればひとり、個人の力でできたかもしれないが、今はそうではない。チームで行うのが基本。組織としてユーザーへの対応力を高め、CS(顧客満足度)を上げることが重要」と、石賀社長は言う。徐々に改革を進めてきて、10年ほどかけ現在の雛型が完成したそうだ。

 最近の悩みは預かりタイヤの扱い量が大きく増加したこと。また顧客である運送会社が慢性的なドライバー不足に陥っていることを受け、タイヤ整備サービスの仕事量も増えているそうだ。

 「仕事の量が増え、お客様の数も増加している。それに対応するには従業員を増やさないとそのペースに付いていけない。生産性の向上を重要テーマに取り組んできているが、それも限界に近い。事業収益を前年対比105%を目標とすると、毎年1人は従業員を増やさなければならない計算だが、なかなかその通りにはならない。この傾向は今後も続くのではないか」、石賀社長はそう言う。

CS・ES向上が経営の重要テーマ

 営業時間は9時から19時まで。その時間中、フルに顧客対応を行う。営業時間後にホイールからの脱着作業など溜まった作業を片付けていく。「しんどい仕事が多い」(石賀社長)と言うように、従業員一人ひとりにかかる負担も重い。給与待遇を厚くするなど対応を図っているが、やはり『働き方改革』が必要だ。ES(従業員満足度)の向上を果たすことが経営者としての大きなテーマだと石賀社長は考えている。

 仕事がより一層効率良く進むよう、仕組みづくりや設備・機器などへの投資を積極的に行っているさなか。現在、出張サービスカーを4台有し、顧客サービスにあたっているが、それを増車するか、あるいは新たな拠点を新設するか、思案中だ。

 悩みの種は尽きないようだ。だが、「まだ40代だし、今はとにかく事業拡大を目標に、上を向いて走って行くしかない」と、石賀社長は持ち前の明るさでハードルをクリアしていく。

 冒頭で触れたように、東大阪市は独自の文化圏を形成する。中・小規模の事業所がひしめき合うように立ち並ぶ――ということは、それに見合うだけの物流網がなければ、地域の産業は構造的に成り立たない。言い換えれば、物流のためのインフラが整備されたことによって、ものづくりの街として発展を遂げることができた。東大阪タイヤサービスは、タイヤ販売と整備サービスによって地場産業を下支えしているのだ。


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