日本ミシュランタイヤ ベルナール・デルマス社長 50周年を迎え、今を語る

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カテゴリー: インタビュー, 特集

 ミシュランは今年9月、日本へ進出してから満50周年となる。この節目を迎えるにあたり、日本ミシュランタイヤのベルナール・デルマス社長に、これまでの取り組みの成果、そして次の50年に向けた今後の方向性について展望を語ってもらった。

アジアはここ日本から

 ――日本法人の設立当時を振り返り、グループ全体の中で日本の位置付けや事業を取り巻く環境はどう変化しましたか。

デルマス社長
デルマス社長が語る日本ミシュランタイヤの「これまで」と「未来」

 「東京オリンピックが開催されたのは1964年10月ですが、その開幕を控えた9月17日、世界初の実用モノレールが羽田~浜松町間で開通しました。ミシュランはこの東京モノレールに装着するスチールラジアルタイヤによって日本市場に参入しました。

 それ以前から輸入販売業者を通じてミシュランのタイヤは日本で販売されていましたが、日本ミシュランタイヤとしての歴史はこのオリンピックから始まったといっていいと思います。

 当時の日本法人の位置付けは、現在とは大きく異なっています。当社の歴史をオカモト株式会社との合弁会社、ミシュランオカモト株式会社設立以前(1964年~1989年)、合弁を行っていた時代(1989年~2000年)、ミシュランオカモト株式会社をミシュランの100%出資子会社化した2000年以降に分けて振り返ります。

 まず設立当初の話ですが、アジアで子会社として拠点ができたのは日本が最初となります。当時ミシュラングループの中には“アジア=ジャパン”という考え方がありました。

 日本はアジアの中で最も経済成長が進み、マーケットも拡大しつつありました。当時のグループ社主であるフランソワ・ミシュランが『アジアはここ日本から』と宣言する、そうした時代でした。

 当初は新車用タイヤのビジネスが中心でしたが、それが大きく変わるのは1989年4月にオカモト株式会社と合弁会社としてミシュランオカモトタイヤ販売株式会社を設立してミシュラン、ライケンの両ブランドの販売を開始してからです。そこから流通システムや生産体制がダイナミックに変化していきました。

 我々としては、もっと日本市場で積極的に販売していくために、より深く、よりスピーディに市場展開を進めていく必要がありました。その中で、合弁会社という方法を選択しました。

 当時はグループとしてグローバル戦略に対する考え方が変革してきた時期でした。以前は新しい市場に参入する際には、自ら投資を行うスタイルが主流でしたが、その頃からM&A(合併・買収)といった手法を取り入れていった時期です。

 1980年代後半は、米グッドリッチ社のタイヤ生産部門やフランスのタイヤメーカー、クレベール社を買収するなど、新たな事業戦略を始めた時代です。そうした流れの中で、日本で一緒にビジネスを推進していくパートナーとして選んだのがオカモトでした。

 日本ではそれまでカーメーカー向けのビジネスが中心でしたので、我々は今日のような流通販売システムが構築できていませんでした。

 流通販売システムを構築して市販用タイヤのビジネスを始めること、さらに群馬県・太田工場でタイヤ生産を始めることがオカモトと一緒になった大きな目的です。ミシュランの100%出資子会社化をする2000年までの約10年間にわたり一緒にビジネスを行ってきましたが、とくに1990年代はバブルが弾けるなどマーケットが変化していった時代でした。

 1991年には、より日本市場に合わせた製品開発を行うためにアジアで初めて、世界3大研究開発センターの1つとなる『ミシュランリサーチアジア』を群馬県太田市に開設しました。

 なお、当初は日本ミシュランタイヤとミシュランリサーチアジアは別々の会社でしたが、2011年1月に経営体質の強化を図るため、ひとつの会社に統合しています」

金融危機で変わった世界

 「2000年以降、最大の出来事は2008年のリーマンショックが挙げられます。1990年代にもアジア通貨危機がありましたが、その時は日本にはさほど影響はありませんでした。しかしリーマンショックは世界中に影響を及ぼしました。その影響は今でも続いていると思います。北米は最近になって金融危機以前の水準に戻りつつあるようですが、欧州はまだ完全には回復していません。

 リーマンショックの影響はまず先進国で表れました。その影響で我々は日米欧でキャパシティを調整するなどして対応しましたが、その一方で新興国市場では積極的な投資を行っています。その結果、先進国と新興国における生産規模のバランスが変わっていきました。

 日本では太田工場での生産を2010年7月に終了しましたが、同じ時期から研究開発センターには大きな投資をしています。

 この点は我々にとって非常に重要なポイントです。それは日本を含めたアジアに向けた製品の研究・開発、そして新興国の工場への技術サポートを一層推進させるためです。また物流部門やIT部門、コールセンターなど色々なサービスを行うための投資も行い、現在は日本におけるオペレーションのハブとしての役割を担っています」


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